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早死のすすめ

 礒淵です。

 気分が乗ってきたので久しぶりのブログ更新です。

 夏休みは毎日更新していて、まあ、ネタを考えるのは大変だったけどそれなりに楽しくもあった。
 冬休みはどうしようかな、と考えている。
 このブログは訪問者も少なくて、つまり読んでくれる人が少ないから、ブログを書くという行為は純粋に文学的衝動、欲求を満たすための行為だと、アクセス数を証拠に言うことができる。格好いい。

 ツイッターがあるとついそちらで言いたいことを言ってしまう。
 140字も書けるし、ブログみたいに長たらしく書かなくてもいい。
 でもそのぶん文脈を気にせずに呟いてしまうので(呟きとはそういうものだ)他人からしたら分けわからないことも多々あると思う。
 それにツイッターは文学的欲求を満たしてくれるものではないから、たくさん呟くうちに言葉が空虚になっていって、喉が渇くように寂しくなっていく。その渇きを潤わせるためにまた呟いて、そのうち砂漠のようになってしまう。アルコールだ、ツイッターは。

 ツイッターを始める前までは、現在ツイッターで呟いている内容をほとんどすべてブログに書いていた。
 それも300字くらいで。
 100字程度で収まるべきことを3倍の文字量でやっていたのだ。
 それは冗長であるし、あまり美しいモノではない。(簡潔さを美しさだと考えるのであれば。)
 だから下手にブログに書くよりかは、ツイートしたほうが、いいと判断した。
 そしてブログは「ツイッターで表現しきれないこと」を書くためのものになった。

 よって、ブログの更新頻度が著しく下がったのだ。

 初期の方は一日1回以上更新していたので、現在の月1なんて当時では考えられないものだろう。
 ま、それほどに溢れるものが多くなくなった、という悲しい事実も否めないが……。

 
 さて、ブログの更新頻度の低さについての言い訳はここまでにして本題に移ろう。

 羽生結弦をご存じだろうか。

 知らない人の方が少ないだろう。現在のフィギュアスケート界をリードする存在だ。

 GPで男子の歴代最高得点をたたき出し、見事に大会を三連覇した。
 彼はソチオリンピックでも金メダルを手に入れたし、怪我をして復帰しても最高得点をたたき出すような選手だ。

 彼の演技はやはり優勝するだけあって頭ひとつ、いや、ふたつ分乃至は一馬身くらいは飛びぬけている。
 まず回転が美しい。軸足がぶれないし身体が柔軟だ。細身なので(実際は練り上げられた肉体である)フォルムも美しい。
 あとやはりジャンプ。スケートの花形。彼の4回転は高さもスピードも申し分なく、槍のように鋭くきめてくれる。
 そしてなんといっても表現力がある。つよい。ステップや体のしなり、動きの緩急、表情、どれをとっても神がかっている。

 神がかっている。

 最近の彼は、神がかっているのだ。大会の実績もそれを物語っている。
 彼がどんどん点数を伸ばしていくから、数字が少年漫画の戦闘力みたいにインフレしているのではないかとさえ錯覚してしまう。
 演技には人を惹きつけてのみこむものがある。
 演技か?と分からなくなってしまうことさえある。

 たまに、恐ろしく感じるのだ。

 何かが彼に乗り移っていて、巫女の降霊のような状態になっているのではないだろうか。なんて突拍子もないことを考えてしまう。

 圧倒的過ぎることは恐ろしいことでもある。
 彼はそのうち魔性的な、ラスボス的な魅力を持ち始めるだろう。
 いや、もうすでに身につけている。


 表現力を競う競技なのでフィギュアスケートは芸術と考えても過言ではないだろう。バレエがそうであるように、だ。
 芸術家は化け物じみた、伝説的な力をもってしまうと、不吉な未来が存在する可能性が高くなるような気がする。
 それは「早死」だ。
 「夭折」と言った方が格好いいか。
 
 カート・コバーンやジミ・ヘンドリックス、尾崎豊、中島敦、ゴッホなどなど若くしてこの世を去った芸術家は多々いる。
 
 不吉なことだが、羽生結弦選手にもその可能性はなくはない。

 というか、はっきり言う、早く死んだほうが格好いい。

 人類未到達の点数をマークし、人々を氷上に呑み込んだ天才、あと数年活躍して次のオリンピックで金メダルを取って、たとえばその晩に交通事故にでも遭って死んだら最高に格好いいと思う。
 
 天才が早く死ぬのは、神様に愛されすぎたからだ。
 もちろん不断の努力の積み重ねが結果に結びついていることは言うまでもないのだが。
 早死には神様に愛されている証拠なのだ。なんてひどいやつなんだ。

 人々に惜しまれる、もう彼の躍動を見れない、彼のために点数は伸びない。
 
 悲しすぎる魅力を「天才の夭折」は備えているのだ。

 我々のような一般人が早死したところで「残念」なだけだが、天才の場合は違う。
 残念、だけでは済まない。
 永遠に語り継がれる。 
 「彼は天才だったけど、25で死んでしまったんだ。」
 そう言われ続けるのだ。

 残念だけど伝説とは死んでからなるものなのだ。
 早死にであるほど伝説になりやすい。

 だから僕も、もしも大物に成れたとしたら、できるだけ早く死にたいと思う。
 生きたとしても49くらいでこの世を去りたい。
 大物に成れたら、の話だから安心してほしい。

 
 まあでも大物でも長生きする人はいる。
 長生きしても伝説になることはできるし、早死して伝説になってもその伝説には悲しみがまとわりついてなんだか嫌な感じもする。
 
 ただ、早死には芸術的に美しいし(簡潔さを美しさとするのならば)冗長じゃない。
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